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 平和賞を受賞したマララさんの場合、受賞を聞いたときは化学の授業中だったこと、「受賞したからと言って、テストが楽になるわけではない」とコメントしたことが重宝された。これは新聞記事だが「ちらりと浮かべた笑みに、女子高生の素顔がのぞいた」そうだ。これって、日本特有の誉め方だろう。

 イスラム武装組織に狙撃され一命を取り留めるという悲劇を乗り越えてなお、教育の必要性を訴え続けたマララさん、彼女の功績を讃えつつも「普段は普通の女子高生」でまとめたがるメディアにも教育の必要性を感じる。

hanemimi
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

伊丹万作『戦争責任者の問題』(青空文庫)

1946年に書かれたもの。

(via h-yamaguchi)